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IBM PC DOS : ウィキペディア日本語版
IBM PC DOS

()は、IBMが1980年代から2000年代初めにかけて製造販売していた IBM PC およびその互換機向けのシステムである。マイクロソフトの は、 のOEM供給用として派生した。

==歴史==
IBM でパーソナルコンピュータ(PC)を開発するために集まったタスクフォースは、オペレーティングシステムを含む重要なコンポーネントを社外から導入することを決めた。全てを社内で開発するというIBMの伝統を打ち破ったこの方針は、IBM PC が業界標準となる重大な決定である。しかし、この決断は時間を節約する必要性から仕方なくなされたものだった。オペレーティングシステムの導入元としてマイクロソフトが選ばれた。IBM はマイクロソフトが開発したソフトウェアについてはマイクロソフトが所有権を保持すべきだと考え、若干の示唆を与える以外にマイクロソフトを助けるつもりもなかった。タスクフォースの一員だったジャック・サムズは「その理由は(IBM)社内にあった。我々はある人々に彼らの所有物を盗んだとして訴えられるという問題を抱えていた。こちらのプログラマが他者のソースコードを見た場合、そのプログラマが IBM に戻ってきてそのソースコードを利用して儲けたと言われる可能性があり、結局非常に高くつくかもしれないと恐れた。我々はそのような一連の訴訟で負けており、他社が所有する製品の開発にIBMが手を貸すということをしたくなかった。だから我々はマイクロソフトに行き、彼らが自らの製品として開発してほしいという立場を明らかにした」と述べている。IBMは1980年7月に初めてマイクロソフトに接触し、調査した。翌月も交渉が続き、最終的に契約が結ばれたのは11月初めのことである。マイクロソフト社内の文献によれば、DOSの最初のバージョンはIBMに15,000ドルでライセンス供与された。マイクロソフトはライセンスの一部としてロイヤルティも受け取ったが、ロイヤルティの合意事項はいつも厳重に守られた秘密だった〔Wallace, J. & Erickson, J. (1992). ''Hard Drive'', John Wiley & Sons. ISBN 0-471-56886-4.〕。
マイクロソフトはシアトル・コンピュータ・プロダクツ (SCP) から を当初はライセンス供与を受け、後に買い取った。それをマイクロソフトの従業員ボブ・オレアがSCP従業員(後にマイクロソフトに移籍)ティム・パターソンの助けを得て IBM PC 向けに改造した。1981年2月、オレアは 86- を PC のプロトタイプ機上で動作させることに成功。86- は8インチフロッピーディスクから5.25インチフロッピーディスクに変換され、マイクロソフトの支援を受けて IBM が書いた と組み合わされた〔。IBMで要求仕様を書いた人数はマイクロソフトでコードを書いた人数よりも多い。オレアはボカラトンのIBMエントリーシステム部門でやり取りしなければならない人数にしばしば圧倒された。86- は 1.0 とブランド名変更され、1981年8月に IBM PC と共にリリースされた。1981年末までパターソンは改良に取り組み、それが 1.1 と呼ばれるようになった。大きな改良点はフロッピーディスクを両面使えるようにした点で、記憶容量が160KBから320KBに倍増した。 1.1 は1982年3月に完成。その後マイクロソフトのプログラマ達(主なメンバーはポール・アレンマーク・ズビコウスキ、アーロン・レイノルズ)〔Duncan, Ray (1988). 「」. ISBN 1-55615-049-0.〕がハードディスクに対応した IBM PC/XT 向けに PC DOS 2.0 の開発を始めた。最初の 1.0 がアセンブリ言語で4,000行だったのに対して、2.0 は20,000行になっている。2.0 は1983年3月に正式発表された。1984年3月、IBM PCjrが登場。PCjr の持つ カートリッジと若干差異のあったディスクコントローラに対応した 2.1 が動作した〔。1984年8月、Intel 80286 プロセッサを搭載した IBM PC/AT が登場。より大きなハードディスク・ドライブと高密度のフロッピーディスク(1.2MB)に対応した 3.0 が動作した〔。
1985年8月、IBM とマイクロソフトは新たに一からオペレーティングシステムを共同で開発する契約を結んだ。当初 と呼ばれていたが、1987年4月2日、 がその共同開発の最初の成果として発表された〔 — 〕。同時にIBMは次世代のパーソナルコンピュータ をリリースした〔。
1988年7月に出荷された 4.0 はIBM社内で試作された 5 をベースにしたものでバグが多く失敗に終った。その機能は後に に採用された。
デジタルリサーチは 5.0 をリリースし、マイクロソフトに対抗しようとした。それに対してマイクロソフトはまだ存在しない 5.0( 5.0)を発表し、急ピッチで開発を進めて対抗した。 5.0 はIBMとマイクロソフトがコード全体を共有した最後の であり、 2.0 にも組み込まれ、後に ののベースとなった。
分裂の際の条件に基づき、IBMは自前の を保持できることになり、(権利を買い取って) の開発を続けた。また、 上で アプリケーションが動作する機能も保持できることになった。マイクロソフトは の範囲を限定し、OEM版ディスケットには「」とふたつの製品が含まれていることを明示していた。IBMは、独自のエディタや各種ツールを同梱した自前の をリリースした。
最終的な分裂は 6.30 以降である。 6.30 は 版 にも使われた。ボカラトンが閉鎖される前にリリースされた最後のバージョンである 7.0 はSAA準拠機能(、IPF方式のヘルプ、 など全て から導入された機能)を追加し、 版の古いツールの大半を削除した。
2000 はオースティンで開発された。IBM は のコードをサーバのブートディスク用に使い続けている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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